ハートテクノロジーズ代表の大森です。

このWebサイトでは、逐次ブログで様々なこと、勿論弊社の事業に関することを始めとして、事業とは直接関係ない様々なことも綴っていく予定です。

第一回目は、自己紹介も兼ねて、現在ハートテクノロジーズ株式会社として行っている様々な開発設計支援に関しまして、自分自身の電話機などの開発設計に関する経験を振り返ってみたいと思います。

何かのお役に立てばと思います。

1)いわゆる有線の電話機の開発設計の時代(1980年代 前半から中頃)

私は1980年代前半大学卒業後、松下通信工業株式会社という今は無き会社に入社しました。

実は松下通信工業株式会社というのは、松下電器産業株式会社の分社であり、待遇としては松下電器産業株式会社の従業員として入社しました。ただし、入社前に、松下通信工業株式会社に出向という形になることは一応約束されていました。

それでも入社の時の研修は大阪の枚方というところで行われました。沢山の班に分かれて研修を受けましたが、一つの班の人数が、きちんとは記憶しておりませんが約30名、全部で30くらいの班があったのかなあ。16班だったことは覚えています。
全部で新入社員は1000人くらいだったと思います。

班の中で、松下通信工業株式会社に配属予定だったのが私プラスもう一人だったかな、2名だったと思います。だから松下通信工業株式会社でなく大阪や京都のほうの松下電器産業株式会社に配属されるのではないかと不安に思ったものです。

(その当時は、関西に行くことなど全く考えていませんでした家を離れたくありませんでした・・・現在仕事の中心が関西であること自体皮肉なことですね。。)

研修の後に配属された松下通信工業の事業部は、通信事業部というところでした。私は大学の卒業研究がマイクロ波であり、かつ中学校の頃アマチュア無線を行ってたこともあり、電波事業部というところに配属希望していました。

電波事業部は、様々な無線通信機の開発をしていました。その中でも、自動車電話の開発も行っていたので、是非自動車電話の開発にかかわりたいと考えていました。想像つく方もおられるかとは思いますが、この自動車電話が、携帯電話の始まりでした。

携帯電話の前身である自動車電話のサービスは、1979年にスタートしました。運営している会社は日本電信電話公社。通称NTTとその当時も言ってました。現在のNTTドコモの前身にあたります。そして自動車電話の端末機器を納入していたメーカは松下通信工業とNEC(日本電気)の2社だっのです。

残念ながら、私は松下通信工業において、自動車電話や無線機器を開発する電波事業部でなく、有線電話機やインターホンを開発する通信事業部に配属されたわけです。そこで一番初めに関わった開発設計は、多機能電話機とか電子電話機といわれる分野でした。

その中には留守番電話機というのもあり、ちょうど米国向けに留守番電話機の開発設計をしているプロジェクト、設計室に配属され、新入社員当時は、信頼性試験担当で、雷試験、静電気試験、温度試験等を毎日行っていました。後は、電話機の中の部品リストとプリント基板の図面と回路図を照合するといった仕事を女子社員と共に行っていました。

いわゆる電話機の中の電子回路設計とかその検証は、ハードウエアという言い方をしており、入社当時は、このハードウエア設計担当でした。と言っても実際に回路を設計している人は、松下電器の中では、共栄会社という名前の所謂外注設計の方であり、当時会社の実験室には沢山共栄会社の方がいました

そうした中でも私は必ずしも回路設計の細かいところは得意でなく、設計は共栄会社様にお任せという中で、多機能電話機の中のスピーカーホンとか自動ダイヤル付き電話機の開発設計に関わっていました。

2)ハードウエア担当のとき、ソフトウエアにも興味を持ちました

その中での転機は、スピーカホンの開発設計に担当として関わっていた時に、上司からソフトウエアの開発設計も少し任されました。電話機の中のソフトウエア開発設計と言ってもピンと来ない方が多いかと思います。実はその当時から電話機を動かす部品として、マイクロコンピューター、通称マイコンが入っていたのです。(今でもマイコンという言葉は残っていますね。。)

このマイコンはどうやって動かすかと言えば、ソフトウエア、プログラミングによって動くのです。そう、パソコンとか現在ではスマホのアプリとかもソフトウエアで動いていますが、電話機もマイコンのソフトウエアによって、動くようになっていました

恥ずかしながら、その当時私は電話機の中のソフトウエアという意味が良く分かりませんでした。当時はやっとパーソナルコンピュータというのが売り出されて、それもBASICという言語で電卓に毛の生えたようなプログラムを組むことで計算出来たりするというものが出てきた中で、電話機の中のマイコン?ソフトウエア?というのがピンときませんでした

その後、分かったこととしては、マイコンのためのソフトウエア開発設計、すなわちプログラムの開発設計はパソコンで行い、パソコンで組んだプログラムを所謂マイコンの中で動くための言語に変換して、それをシミュレータというものを使ってマイコンを動かして検証した後、それをROMというものに書き込むために半導体会社に発注するといった開発だったのです。

3)多機能電話機のソフトウエア担当にしていただきました

スピーカホンのためのマイコンのソフトウエア開発自体は外注が行っていたのですが、その外注様とのやり取りを行うというのが私の役目になり、かつ開発設計のための書類=ドキュメントをチェックしたり、管理するのも私の役割でしたので、少しは電話機におけるマイコンのためのソフトウエア開発のやり方がわかってきた時代でした。

それから2-3年はこういった主にハードウエア開発設計の担当をしており、その間、上司には毎日のように叱られていました。何故なら、きちんとした開発設計ができませんでした。これは自分のその当時の能力が上司が期待しているレベルに達していなかったことに尽きると思います。

特にハードウエア開発設計はあまり得意ではありませんでした。一方ソフトウエア開発設計とか、全体の動作を確認するといった仕事はある程度出来たのではないかと思います。それでも色々な仕事を経験できたということは今思うととても有難いことでした。

その当時、米国においてはコードレス電話というのが流行していました。1980年代中頃までは、日本ではまだコードレス電話というのが普及していませんでした。新入社員のころの飲み会で、コードレス電話という名前を聞いて、上司とかに”コードレス電話って何ですか?”と尋ねたら、”家の中でどこでも電話が出来るものだよ。何年か後に日本でもコードレス電話が認可されるよ”ということを聴き、自動車電話は開発できないけど、是非コードレス電話というものを開発したいなと思いました

そう考えていたところ、1986年末か1987年始めだったと思いますが、コードレス電話の開発プロジェクトを受け持つ課に移ることが出来ましたやっと無線通信が関わる開発設計に携わることができるようになり、嬉しく思ったものでした。

本日はここまで。次回はコードレス電話時代の思い出を記します。

多機能電話開発設計時代の教訓
・新入社員から何年かはどんな仕事でも経験することが大事